飲んだくれの記

方向音痴で熱しやすく冷めやすい、酒とラーメンの大好きなポンコツが綴る徒然の記。

記憶をたずねて

いても立ってもいられなくなった。


1歳から3歳の頃まで住んでいた住所が分かったのだ。先週の墓参りの折、お袋が発見した昔の手紙に、それは書かれていた。どうやら祖母が取っておいたものらしい。その住所をGoogle Mapで打ち込んでみると、なんと!まだその建物があるではないか!!!


愛されて育ったあの頃の、古きよき思い出の風景は、これまでも時折フラッシュバックすることがあった。でも記憶の中のそれは、いつもおぼろげ。あの光景の裏づけを取りたいんだ、僕は!


というわけで、行ってきました。
こんな書き出し方をすると、さぞ遠いところにあるかのように思えるかもしれませんが、実は電車で1時間程度です。


仮にB駅としておこう。着いてみてまず、駅の小ささに、驚く。国道が目の前を通っているからまだいいものの、本当に寂しいところだ。


ああ!この駅前のガード。ハッキリ覚えている。


駅から5分ほどの住宅地へ。特徴のある、くねった坂道。DNAに刻み込まれた道。この方向音痴の僕にして、地図を見る必要もないくらい。

僕のおふくろは、まだ弟がお腹にいるときに、幼い僕の手を引いてこの坂を登ったのだ。今の僕よりずっと若かった母親はそのとき、どんな未来を描いていたのだろう。
何かにつけてよく訪ねてきたという、大好きだったおばあちゃんもまた、この坂を登ってきたのだろうなぁ。


あーっ!これだ、この公園だ、僕の記憶に何度もフラッシュバックしてきたのは。

ドラえもんに出てくる空き地の土管みたいな遊具、この滑り台、あの砂場。○十年経っているのに、全然変わってない!!!


そうだった。たしかに僕は、ここにいた。

あの部屋だ。ハッキリ覚えてる。3歳児の記憶って、こんなに強烈なのか。わが弟が生まれたのも、この家だ(いや、正確には病院だが)。


以前おふくろから聞いた話。
この道によく八百屋さんのトラックが来ていたそうだ。あるとき、おふくろは寝ている僕をおいて、トラックのところに野菜を買いに行った。すると目を覚ましてしまった僕は、母親の姿を必死に探し回った末、間違えて玄関の鍵を閉めてしまったらしい。そして、母親がいないというので号泣。外からそれを聞いたおふくろは、あわててドアのところまで帰ってきたが、ドアが開かない。僕は泣きじゃくるばかり。郵便ボックスのところから僕の手を握って、必死になだめるおふくろ。でも、僕は泣き止まず、鍵も開けられない。
結局、専門の業者の方に窓から入ってもらってドアを開けてもらう大騒ぎになったそうだ。


昔から手に負えない甘えん坊だったんだな、俺は・・・


かつて住んでいた部屋には、どなたかの表札がかかっていた。しんみりした気持ちで、かつての住居を後にする。


弟が11ヶ月のときに、僕ら一家はこの部屋を後にして、アメリカに引っ越したという。となると次は、アメリカはニュージャージー州を訪ねるよりほかはあるまいな!