飲んだくれの記

方向音痴で熱しやすく冷めやすい、酒とラーメンの大好きなポンコツが綴る徒然の記。

トリストラム・シャンディ 上

トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1)

トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1)


イギリスの坊さんによって書かれた奇書。岩波では上、中、下の3巻構成。今日は上まで。


いやー、笑った。


モンティ・パイソンを髣髴させるこの笑撃ぶり。なんど悶絶しそうになったことか。
はぐらかし、皮肉、冒涜、冷笑、性的なほのめかし、誇張、脱線、斬新な構成、底に流れる知性。このユーモアは、大英帝国ならでは。ハンバーガーばかり食ってるヤツらには書けねぇよ、これ。


現代の読者にこれほどまでに膾炙する小説がなんと、240年前の作品なんだから、恐れ入る。


とにかく徹頭徹尾、人を食っているのだ。「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」と題したこの本、語り手はトリストラム・シャンディ本人。まずは冒頭の文章からして、ふるっている。

私めの切な願いは、今さらかなわぬことながら、私の父か母かどちらかが、と申すよりもこの場合は両方とも等しくそういう義務があったはずですから、なろうことなら父と母の双方が、この私というものをしこむときに、もっと自分たちの営みがどれだけ大きな影響を持つことだったかを、二人が正当に考慮していたとしたら(略)、この私という人間が、これから読者諸賢がだんだんとご覧になるであろう姿とは、まるで違った姿をこの世にお示しすることになったろうと、私は信じて疑わないものです。

こんな文を読まされたら、そりゃ読むのだってやめられなくなろうというものだ。


ところがこの語り手、自分の生まれを語るはずが、脱線につぐ脱線で、これがいつまで経っても生まれない。上巻の最後になってようやくこの世に生を受けたことが、衝撃的な形で分かるのだが*1、いやはやこの分では下巻まで行ったところで、どこまで話が進むのやら、だ。


読書の喜びを改めて感じさせてくれる作品だ。伊達に200年以上も読み継がれてませんよ。


さて今日、中巻を買ってきたので、続きを読みます。

*1:このときの医師の様子が悶絶モノ