飲んだくれの記

方向音痴で熱しやすく冷めやすい、酒とラーメンの大好きなポンコツが綴る徒然の記。

硫黄島からの手紙 鑑賞

レイトショーに駆け込み。0時から自宅で仕事があったのだけど、23時40分に終わるこの映画なら観られるかなと思って。「父親たちの星条旗」にガツンとやられた僕としては、少しでも早くこの映画を観ておきたかったのです。


言うまでも無く、クリント・イーストウッドによる硫黄島二部作の第二弾である本作。一作目の「父親たちの星条旗」ではかの壮絶な激戦である硫黄島の戦いを米国の視点から描いたのに対して、本作では、日本側の視点でこの戦いを描いています。


劇場は、中央のいい席は9割方埋まっている状態。前評判の高さが伺われます。


さて、鑑賞した感想は・・・


あれ?期待はずれ???


映画全編を貫くトーンは、前作同様、お涙頂戴もなく、過酷で残酷な事実を淡々と描いていくというもの。そこからどういう感情を汲み取るかは、鑑賞する側に委ねられる。こういうスタイルは、非常に心地よい。


ただ問題は、日本人が観ると、そのエピソードの数々が「当たり前」すぎるのだ。もちろん悲惨な戦争とそこで行われた殺戮が我々の日常的な光景であるはずはない。しかし、日本人として戦後教育を受けてきた身には、ここで行われた蛮行、集団自決などの狂気は、ただ当たり前に描かれただけでは、凡百の映画とは異なった強い印象を残すことは難しいのではないか。しかしそれと同じ理由で、米国人にとってはこの映画のこれら描写は大きな教育的意義を持ちうるかもしれない。そこは、期待したいところだ。


栗林中将の描き方も非常に微妙。彼がバロン西とともに、西洋の影響を受けたヒューマニストで合理主義者であったという主張は、よくわかる。しかしその彼が、価値観の異なる硫黄島の兵士たちをいかにしてまとめあげることができたのか、あるいは仮にまとめきれなかったにせよ、どうして米国が5日間で終わると思った戦闘を36日間も戦い抜くことができたのか、がどうも、分からない。これは鑑賞後のフラストレーションとして残った。


あと文句ついでにもう一つ。二宮和也は演技はうまいと思うのだけれども、西郷役にはあまりにも若すぎないだろうか?今よりは婚期もずっと早い時代であったとはいえ、出征前の回想シーンは、子供がちょび髭生やして出てきたような印象を拭えなかった。
あと、西郷のセリフ口調ね。諦念や批判精神に溢れたその内容はともかくとして、あまりにも現代的な口調に違和感。


しかし、あながち悪いことばかりでもない。特に印象に残ったシーンは、主人公の西郷が、加瀬亮演ずる清水の遺体を見て初めて(たしか映画で唯一?)号泣するシーン。そこまではひどい目にあっても寡黙に耐えていた西郷が激するこのシーンには、映画的なうまさを感じた。


というわけでこの映画、総じて「やや残念」といった印象なのだけれども、しかし、もう一度観ることで違うよさを発見できるかも、との思いも残る。DVDが出たら、また観ようかな。